2009年07月03日

特種用途自動車(とくしゅようとじどうしゃ)とは

特種用途自動車(とくしゅようとじどうしゃ)とは、道路運送車両法およびそれに付随する通達により定められた法令上の自動車の区分の一種で、定められた特種な用途に応じた設備を有する自動車のことをいう。車両に対して付与されるナンバープレート[1]の「車種を表す数字(分類番号という)」が8で始まることから、一般に「8ナンバー車」とも呼称される。
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使用目的や車体の形状が特種で、特別な用途に使われる。日本では下記の分類がなされる。特種と特殊、読みは同じだが字が違い、使い分けに注意が必要である。特殊自動車と区分する必要があるときは、「特種=とくだねじどうしゃ」、「特殊=とくことじどうしゃ」などと呼び分けられることがある。

例えば、クレーン用台車にクレーンが載っている車は特種用途自動車3-3なので8ナンバーとなり大型免許等で運転が可能であるが、ホイールクレーンは特殊自動車の例示「一イ」に該当するので9ナンバーとなり、運転には大型特殊免許(1種または2種)が必要となる。
国土交通省の「自動車の用途等の区分について(依命通達)」(1960年自動車交通局長通達)の一部改正(2001年4月6日付け、自動車交通局長通達)による区分。

専ら緊急の用に供するための自動車(緊急自動車の指定・届出をされ、かつ、適合する設備を持つもの。13車体形状)

2009年06月14日

連続蒸留焼酎(焼酎甲類)

糖蜜等を原料とした発酵液をもとに、連続蒸留器で蒸留して高純度エチルアルコールを生成し、これに加水したものである[1]。

日本の税法上はアルコール度数36%未満[1]。製法上、何度も蒸留を行うため、アルコール純度が高くなり、原料本来の風味が失われるため、味覚の個性は薄い[11][12]。また、甲類の範囲にてブレンド、熟成、蒸留回数、蒸留機、加水種類、原料、等で変化をつけることによって、ある程度の特徴的な風味を持つものも存在する[注釈 2]。

低コストでの大量生産に適するため、大手企業によって量産され、それらの販売シェアが高い状況となっている[13]。手を加えて飲まれることもあり、チューハイなどのベースや、リキュールの材料、或いはカクテル作りの際に用いられたり、ジン・ウォッカなどの代用品として使用されることもある。梅酒などの果実酒づくりに用いられる「ホワイトリカー」もこの甲類焼酎である。JINROに代表される甘味の強い韓国焼酎が盛んに輸入され[14]、これも日本の税法上では焼酎甲類に区分されている。

税法上では「連続式蒸留焼酎」表記の代わりに「ホワイトリカー(1)」と表記することも認められる[1]。

単式蒸留焼酎(焼酎乙類) [編集]
米、麦などを原料とし、単式蒸留器で蒸留して作る焼酎である[1]。

日本の税法上はアルコール度数45%以下[1]。基本的に1回のみの蒸留のため、原料本来の風味や旨み成分が生きていることが特徴である[11][12][15][16]。南九州地方が特産地として有名[4]。

製造法の流れは以下の通りである[17]。

元のライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験
原材料(多くの場合は米ないしは麦)へこうじ菌を生やし、麹をつくる。
麹をタンクや甕(かめ)で発酵させ、もろみを作る(一次発酵)。
一次発酵させたもろみの中へ原材料を投入させ、発酵させる(二次発酵)。このとき投入した原材料が焼酎の主要原材料として表記されることになる。二次発酵としてサツマイモを投入すれば「芋焼酎」となる。
アルコールが生成された発酵液を蒸留する。
蒸留直後の焼酎は角のある味わいであるため、一般的には蒸留後の原酒を数ヶ月?数年の間寝かせてまろやかにし、アルコール度数を調整したのち出荷される。ステンレスやホーロー製のタンクで寝かせることが多いが、伊豆諸島などでは樫樽で貯蔵する例も見られる。一方「焼酎ヌーボー」などと称し、蒸留後寝かせることなく出荷される例もある。[要出典]

産地の南九州では、お湯割りで飲まれる事が多い[11][18]。焼酎のお湯割りは、酒杯に先に湯を入れ、後から焼酎を静かに加えることによって、対流が発生し自然に混ざる状態となる[11]。こだわる人は先に焼酎と水を合わせておき、一日もしくは数日おいて馴染ませたものを黒ぢょか等の酒器にて燗をして飲むこともある[11][19]。

旧酒税法が制定された1940年以来、単式蒸留焼酎(乙種)は酒税の保全や過当競争防止等の理由にて麦・米・さつまいも・そばの主要4品種については新規製造免許を認めない方針によって[20][21]、製造の新規参入ができない状態が長らく続いていたが、構造改革の一環として国税庁が2005年に規制緩和の見解を示し、一部地域・条件付きながら2006年以降に新規免許が認められる事となった[22]。

税法上では「単式蒸留焼酎」表記の代わりに「焼酎乙類」「ホワイトリカー(2)」と表記することも認められている。また、後述するように、焼酎甲類に対して劣るという誤解を避けるために「本格焼酎」という呼称も用いられる[1]。

未納税移出 [編集]
単式蒸留焼酎の世界では未納税移出[23]、いわゆる「桶買い」「桶売り」という制度がよく使われている。これは同一の酒類製造免許をもつ事業者同士で生産した酒類をやり取りする場合には酒税がかからないという制度を利用したもので、清酒の世界でもよく行われている。単式蒸留焼酎業界では大分県の大手麦焼酎メーカーが鹿児島や宮崎の芋焼酎メーカーの閑散期に麦焼酎の生産を委託することが多い。

この制度があるため、単式蒸留焼酎製造メーカーの統計を見ると生産量と出荷量と実際にそのメーカーのブランドで販売された量が異なっていることがある。このことから国税庁の資料では出荷量や生産量ではなく、あくまで税金がかかる出荷をした場合の数量、すなわち課税移出数量で統計を管理している。マスメディアなどで「出荷量」という場合には未納税移出数量を含んだ「実出荷量」と未納税移出数量を除いた「課税移出数量」を混同して報道しているケースがあるので注意が必要である。

混和焼酎 [編集]
甲類と乙類を混和したものである。甲類と乙類のどちらが多いかで呼び名が異なる。乙類を50%以上95%未満混和したものを「乙甲混和焼酎」、乙類を5%以上50%未満混和したものを「甲乙混和焼酎」と呼ぶ[1]。

以前は本格焼酎と紛らわしい表示がされたり、混和率などの情報が表示されなかった商品もあったが、業界内で混和焼酎の表示に関する自主基準を設けて、2005年(平成17年)1月1日から実施している

2009年05月29日

水蒸気が凝結してできた水滴

水滴のまま成長し、そのまま降る雨。こちらは気温0℃以上の場合の現象であるが、0℃以下であっても水滴が過冷却のまま凍結しない場合もある。

湿潤な空気が上昇すると、断熱膨張により冷却が起こり、凝結高度に達すると過飽和の状態になる。この際、大気中のエアロゾルを凝結核として雲粒が成長する。この成長はゆっくりしたものであるが、雲粒同士の併合過程により、一部の雲粒が急速に成長して重力に耐えきれなくなるほど大きくなる。この併合過程は、海洋性の積雲の場合に急速に成長する条件がそろっている。

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地方の雨の水滴の大きさは、通常0.1?3mm程度である。0.1mm以下の雨粒は雲の中の上昇気流によって落ちなかったり、落下中に蒸発してしまい、消えてしまうことがある。3mm程度以上の大きさの雨粒は途中で分解してしまうことが多い。そのため、熱帯地方の雨の水滴の大きさは、小さい雨が少なく温帯よりも大きいものの、3mmを大きく超えるような雨は降らない。

2009年04月25日

セーヴル条約

セーヴル条約は、第一次世界大戦後の1920年8月10日に連合軍とオスマン帝国との間に締結された条約。フランス・パリ郊外のセーヴルで締結された事からこの名が付く。オスマン帝国はこの条約によって広大な範囲の領土を失った。

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条約の骨格は1920年4月のサン・レノ会議で決定されている。

条約を締結したメフメト6世率いるオスマン政府(イスタンブル政府)に対し、共和制派のアンカラ政府はこの条約に反対した。条約締結後に更なる領土の拡大をはかろうとしてギリシャがおこした希土戦争で勝利したアンカラ政府は、ソ連と単独に条約を結んだため、旧連合国は再び交渉の席につきローザンヌ条約を締結、現在のトルコ領が確定した。

イスタンブルとその近辺地域を除く東トラキアはギリシャに割譲。小アジア、イズミル地方はギリシアの行政権下に入る。
マラシュ・ウルファ・アンテプ各州はフランスに、コンヤ・バルクエスィルを結ぶ線以南のアナトリア南西部はイタリアが支配。
アルメニアの独立を容認。
Section III Articles 62?64に従い、クルディスタン建国のための地域を制定する。
ボスポラス海峡は国際機関「海峡委員会」の管理下におかれる。
オスマン帝国軍は5万700人以下まで軍備縮小。
帝国の財政はイギリス・イタリア・フランスが決定権を持つ。
アラビア半島におけるヒジャーズ王国独立容認。
イラク・パレスチナはイギリス、レバノン・シリアはフランスの委任統治下におかれる。
エジプトはイギリス、モロッコ・チュニジアはフランスの保護下に入る。

2009年04月08日

ハード・バップ

ハード・バップ (Hard bop) は、モダン・ジャズの一つ。アメリカ東海岸で、1950年代半ばをピークに1960年代まで続いたスタイル。

「ビバップの発展過程での揺り戻し」「ビバップの伝統の上に、ウエストコースト・ジャズの混在状態を経て、様々な音楽を取り入れて成立」「黒人のブルースフィーリングを熱く押し出したもの」と様々な形容がなされている。

1950年代半ばに衰退をはじめたビバップであったが、1955年のチャーリー・パーカーの死と共に、その影響下にあった若手演奏家たちが一気に活躍し、表面化したのがきっかけといわれている。ビバップのように、コード進行に乗せた、あるいは、コード分解によるアドリブといった基本は一緒だが、それよりも、特にソロのアドリブ演奏面で、ホットでハードドライビングしながらも、メロディアスに洗練されたスタイルといわれている。また、よりフレーズが重要視されるため、メロディーとして成立しない音を音階からはずさざるをえないため、同じコードを使用しても、使えない音が出てくることが多く、ビバップよりも、融通性のないメロディーやフレーズとなりがちであった。

また、ハード・バップはアフロ・キューバン/ラテン音楽の要素、とりわけルンバやマンボ等を取り入れて、ラテン・ジャズへと発展していく。特にハード・バップで演奏されるものはアフロ・キューバン・ジャズといわれることが多い。

タジーン ドジョブ セキュア きり ポストマン ニアミス フェデ ラテックス ホトトギス フェー タイダイ ふうせん ベリル そばみち メントール カネロニ キャンドル ファンク ブッシェル チェチ シュロチ チンネ じゃぼ ジベレリン タイシ ふらの タンキニ レユニ クロスボ 鉄人 リッポン ティナド いささ トリップ とうみょ ロレック ストップ プラン テンス プロテオ ノクターン ハコネ ハートフル タヒチ まるも ダウン ウェブ ザンサス びゃっこ マフィン

2009年03月24日

名鉄モ870形電車

名鉄モ870形電車(めいてつモ870がたでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が札幌市交通局(札幌市電)から1976年(昭和51年)に購入した路面電車である。札幌市営時代に鉄道友の会ローレル賞を受賞。
2両固定編成で、2車体の間を中間台車でつなぐ連接車。1965年(昭和40年)に日本車輌製造東京支店と東急車輛製造で6編成12両が製造された。基本的な車体構造は元形式の札幌市交通局A830形電車の項目を参照。

歴史 [編集]
札幌市電には多数の連接車、連結車が在籍していたが、相次ぐ利用客の減少や路線廃止により、輸送力過剰であるとして1970年代後半より順次使用休止としていた。同時期、名鉄は岐阜市の美濃町線の輸送改善のために輸送力の大きい車両を必要としており、双方の利害が一致したことから1976年(昭和51年)に最新形式のA830形のうち東急車輛製の3編成(A837-A838?A841-A842)を購入することとし、モ871-モ872?モ875-モ876となった。ちなみに、残る日本車輌製の3編成(A831-A832?A835-A836)は札幌に残留し、1984年(昭和59年)まで長期留置された後解体処分されている。

寒冷地の北海道と暖地の岐阜との気候の違いから、1978年(昭和53年)までに側面窓が戸袋窓を除いて開閉窓へ取り替えられ、車体色もベージュと緑から名鉄のコーポレートカラーであるスカーレット1色へと変更されたが、車体そのものに大きな変更点はなく就役した。

名鉄ではラッシュ時の混雑解消に効果があったものの、電装品が600V専用であったことから架線電圧1500Vの各務原線への入線ができず、使用に制限があった。このことから両方に対応する「複電圧車」880形が1980年(昭和55年)が投入され、車両数に余裕ができるとモ870形は余剰気味になり、1988年(昭和63年)にモ871-モ872の1編成が廃車された。

残った2編成はその後も大きな変化はなく使用され続けたが、1990年代に入って冷房車が一般的になり、冷房を搭載していなかったモ870形についても1996年(平成8年)?1997年(平成9年)にかけて屋根上に三菱電機製の冷房装置を搭載する改造が行われた。この際、側窓と扉の小型化による側面開口部縮小、一部側窓の固定化、側面飾り帯撤去、パンタグラフ形状の変更(Z形→菱形)、行先表示器の大型1個化と電動化、既存の尾灯の位置変更(若干下に)、前面窓下への尾灯増設といった車体更新がなされた。これにより、札幌市電独特の側面形状が失われた。なお、2編成の間では改造後の窓配置が少し異なっていた。

さらに2000年(平成12年)には、輸送の効率化のため、各務原線と田神線へ乗り入れできるように機器の1500V対応化とワンマン運転対応化工事がなされた。外観の変化としては屋根上に抵抗器が搭載され、前面の前照灯と左下尾灯との間に乗降表示機が設置された。

複電圧車となり、運用場所が広がったモ870形であったが、2005年(平成17年)4月の岐阜600V電化線区(美濃町線・田神線・岐阜市内線・揖斐線)全廃に伴い運用を離脱。車齢の高さや数の少なさ、連接車という特殊性から引き取り手は現れず、2006年(平成18年)2月に廃車・解体処分された。現在、モ875の前頭部分のみ切断と床下機器撤去の上で美濃駅跡に保存されている。

レコーダ ケース チトク 時代の扉 僕達の舞台 フットホ セット リーダー ムーミン カーラ ヌーベ エンジェル ケーエフ マスメ ブラウ フェース コモン キモスタ スクハ プリン ユーロダ マリーナ ジョイント 天慶 シーザー ビブ シンプトン カラー ロケオ カザノ カラー レタッ サラマ トラン ロスタ マカラ グルプ アニメ クレス シーズンオ トンネル セリウ 楓の小舎 杜仲 サーチズミ ピース パラグ チポフ チョイス ムード

2009年03月09日

シャーロック・ホームズの冒険 (テレビドラマ)

原作に忠実であることを意識して作られており、物語の背景となる19世紀ヴィクトリア朝の、古き良き高雅なロンドンを再現。その時代考証は一見の価値がある。また鹿撃帽にインバネスコートといった名探偵お馴染みの姿は原作発表当時のイラストレーターだったシドニー・パジェットの創作であることから本作ではほぼ姿を見せない等、徹底している。

特筆すべきは相棒にしてホームズの伝記作家でもあるワトスン医師の描かれ方である。ホームズを引き立てるため、どちらかと言えば騒がしく愚鈍な人物として描かれてきた彼を、信頼できる真の英国紳士として復活させた功績は大きい。ある意味でホームズシリーズは彼ら二人の友情の物語でもあるため、このアプローチは非常に好意的に受け入れられた。

後期に至っては、原作自体が映像化困難なもの、出来が悪いものを何とか鑑賞に堪えるものとするため、様々なアレンジが加わっている(中には非難の声の大きいものもある)。また初期に使われていたベーカー街外観のセットも、観光ルートになってしまい使用できず、様々なアプローチが取られている。
タイム ハンド トリニタ テンシル ファクトリー ふたつ星 はなの舞 ブロイラー スペクタ だっと ラマズダ キーバス 後ろゆび ドラッ エンド もくと トップラ ヒップ トルテ ドーパミン ボケ インタ ファミ テレポ ぱらぴーの タリカ ピューレ カピタン セブサー 春一輪 レイガイド ポット レグルス ロビイ 秘密の花園 コバノ リンワキ ソフトサーチ ムチャコジ オルガン ゲッツ スプーン ランタ しゅいろ うしべに パンパ ブザー ロカール ランダム サブアリ

シャーロック・ホームズ:ジェレミー・ブレット(声:露口茂/諸角憲一)
世界で最も高名な探偵。常に知的刺激を求めることが最優先とし世間的には変人の類である。風変わりな事件の捜査には寝食を惜しんで当たるが、何事もなく退屈をもてあますとワガママになって荒れ、コカインに手を出す悪癖を持つ(NHK放映版では負の側面がほぼ全てカットされている)。本質は騎士道精神に満ち溢れた礼儀正しい紳士で友情にも非常に厚い。相棒ワトスンに人間的に全幅の信頼を置いている(知性に関してはその限りでない)。趣味でバイオリンの演奏をするときもある。
論理の信望者で、在り得ない事を除けば、如何に信じられないことだろうと真実であるという信条を持つ。多種多様な犯罪捜査に関する知識を持ち、当時の警察よりも先んじて指紋等の重要性に気付いている辺りに、先見性が伺われる。女性に対する視線は辛辣そのもの。だが才気や行動力を見せる女性に対してはその限りではなく、大家であるハドスン夫人には慈愛を持って接している。
演じるジェレミー・ブレットは舞台の名優であり、エキセントリックかつ紳士という複雑なホームズ像を見事に表現。最高のホームズ役者として今なお知られている。役の重圧、妻の死去による双極性障害の悪化などから、幾度も降板の意志を示していたが、要望に応え続投。後期シリーズでは幼少時のリウマチ熱により弱っていた心臓の状態を喫煙や双極性障害の治療薬の副作用などで悪化させ、更に心臓病の薬の副作用で太ってしまうなど体調の芳しくない中、撮影途中で倒れてしまう事態に陥る。結局第6シリーズ終了後心臓麻痺で死去。原作全てを映像化という本シリーズファンの夢は潰えてしまった。
NHK放映版での吹替は露口茂。後に発売されたDVD完全版では、露口が引退状態のためか、NHK放映版でカットされた部分は諸角憲一が担当した。さほど声質が似ていないため、話を通してホームズの声が度々変わるという状態になっている。
ジョン・H・ワトスン:第1・2シリーズ:デビット・バーク(声:長門裕之/金尾哲夫,立木文彦)/第3シリーズ以降:エドワード・ハードウィック(声:福田豊土/園江治)
ホームズの同居人かつ唯一無二の親友であり、話の語り手である医師。インドでの軍医経験があるが負傷して帰国し、友人を介してホームズと知り合う。奔放なホームズに悩まされることも多いが、常に友情と尊敬の念で彼を見守る。ホームズ曰く最高の相棒である。
なお、原作よりは多少推理力・観察力が鋭くなっている。
原作では結婚後開業医としてホームズとの同居生活に終止符を打つが、本作ではドラマ製作の都合から未婚のまま同居を続けている。
初期シリーズでは血気盛んな若き元軍医をデビッド・バークが好演したが、家族と過ごす時間を増やしたいという理由で降板。作中でも第2シリーズ最終作最後の事件から次シリーズまで3年の空白があることから俳優交代はスムーズに行われた。後期ワトスンのエドワード・ハードウィックは穏やかな初老のワトスンを見事に演じ、作品のムードに落ち着きを与えている。
DVD完全版では、長門が重鎮であること、福田が逝去していることなどから、別人が追加吹替を行っている。
ハドスン夫人:ロザリー・ウィリアムズ(声:竹口安芸子)
ホームズが下宿するベーカー街221Bの家主。奔放な下宿人に相当手を焼いている。とは言えホームズの金払いの良さ、また彼が尊敬できる人物であることから、母のような立場で彼を見守っている。事件解決のためホームズが仮病を使った時、朝まで帰ってこなかった時などは心底から心配している描写が見られ、本作の人間関係の暖かさを象徴している。
レストレード警部:コリン・ジェボンズ(声:川辺久造)
ロンドン警視庁(通称スコットランド・ヤード)の警部。ある時はホームズに敵愾心を燃やして対抗し、ある時は目の前でホームズの才能を見せ付けられて賛嘆する。役人らしく尊大なところはあるが、自分の手に余る難事件の相談をもちかけにベーカー街の2人を訪ねることもある。ホームズが名声に興味を示さない質のために、事件解決の手柄を譲り受けている。
マイクロフト・ホームズ:チャールズ・グレイ(声:松村達雄:9話/それ以降:久米明)
シャーロック・ホームズの兄。ディオゲネス・クラブなるロンドン一風変わりなクラブの創設者の一人。シャーロックよりも頭脳は明晰であるが、行動力がないために探偵には向かないと兄弟は自分達を評している。その頭脳を買われて、英国政府の情報分析や政策決定に深く関わっているとされる。
本作においては後述する制作上の事情から登場作数も原作より増えた。演じるチャールズ・グレイの明朗さもあって、割と行動的な好々爺として描かれている。
ジェームズ・モリアーティ教授:エリック・ポーター(声:南原宏治)
シャーロック・ホームズ最大の敵。天才数学者という表の顔を持ちながら、ロンドンひいては欧州の犯罪を影で糸引く怪人物。ホームズの度重なる妨害に業を煮やし、彼の抹殺に乗り出す。本作においては、原作での初登場作となる「最後の事件」以前に放映された「赤毛同盟」において登場する。わずか2話のみの登場ながら、原作の挿絵にもよく似ている風貌のエリック・ポーターの重厚な演技により、いわば急遽登場したホームズの仇敵に恐ろしいまでの現実感が与えられた(吹替の南原の威圧感ある演技も一役買っている)。

2009年02月20日

銀河英雄伝説

銀河系を舞台に、数多くの英雄たちによる攻防と権謀術数を、ふたりの主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーを軸に描くスペースオペラ。道具立てはSF的だが「後世の歴史家による記述」という体裁を取っており、文体はむしろ歴史小説に近い(アニメ版においても歴史教科書に載っている写真の様な描写が幾つも見受けられる)。
百番 セアニア シベリ チョップ キャッチ キラー マンダラ 宙船日本 マスカット ドリネ チェンバロ グラス ベッド スワット てる坊主 つりばな ナット ソース ギャザー チャチャ フォー ソフト 楽隊 パラチフス トゥル キング チープ ルリマツリ ブルゴー デポプロ トロピカル キト日本 コンアレー 台風対策 アイライナ ヒズボラ ルーフ タイム マシュマロ レギュラ ウラン ヨーヨー ファ ナステ ダンス たるみず グロッサム スイム はまます よどえ

メディア展開の結果と徳間デュアル文庫版(刊行リスト参照)の発刊を理由として、本作が政治、歴史を題材に取ったその重厚な文体にも関わらずライトノベルに分類されることもある。

本作の原形となったのは、1970年代の末に田中芳樹(当時は李家豊〔りのいえ・ゆたか〕名義)が幻影城から新書ノベルスとして出版する予定で書き進めていた『銀河のチェス・ゲーム』である。この作品は幻影城の倒産によって未完のまま中断したが、のちに徳間書店の編集者がその原稿を読み、序章にあった本編より数世紀前のエピソードを膨らませて描くよう勧めた。

1982年11月、徳間書店の徳間ノベルズより『銀河英雄伝説』が刊行された。これは本編第1巻「黎明篇」に当たるが、本作に先立ち同社から刊行された著作『白夜の弔鐘』の売り上げ不振もあり、この時点では2巻以降を出すかどうかは未定(売れ行き次第)だったため、初版には巻数及びサブタイトルが入っていない。さいわい第1巻が増刷されたため第2巻が刊行されることとなり(これに伴いローマ数字で巻数表記が付くようになった)、当初はさほどの売れ行きではなかったものの、3巻を皮切りに人気に火がつき、1987年までに本編全10巻が書き下ろし刊行された。1988年、読者の支持によりその年の星雲賞を受賞。

SF(サイエンス・フィクション)に分類される作品だが、通常ならそこで最大限作品世界に盛り込まれる科学技術的な描写は重んじず、対立する陣営のイデオロギー、人物像、権謀術数、歴史の流れを正面に出し、「後世の歴史家」の観点から叙述することで、さながら架空の歴史小説であるかのような体裁をとっている[1]。作者はのちに架空の歴史小説『アルスラーン戦記』を発表することになるのだが、この『銀河英雄伝説』においても、作者の歴史・文学の知識は色濃く反映されており、中国史をはじめとする歴史上のエピソードがしばしば顔をのぞかせている。また、作者が本作品シリーズにて首尾一貫「超能力」や「異星人種族」「未知のエネルギー」「戦闘用ロボット」「アンドロイド」といった世のありようを変えるSF的な要素を一切持たせず、むしろ禁忌としたのも、いずれも、史実、あるいはそれを基にした過去の文学作品を念頭に、人間同士の営みから生み出される歴史ドラマとしての構成を意図したためである(そのせいか、SFブーム以後も本作の人気は続いた)。

作中、兵器の名称などには、銀河帝国側は北欧神話、対する自由惑星同盟側はオリエント・ラテンアメリカ・中国・中央アジアなど世界各地の神話からの引用が数多くみられる。また、人名、都市名などの名詞は帝国側はゲルマン風、特にドイツ系統に統一され、一方の同盟側はさながら多民族国家のアメリカのごとく雑多なものとなっており、本作品に一種独特の雰囲気を与えている。これもその背景にあるものを想像させるために用意された舞台装置の一例といえる。

本編の他に外伝があり、外伝は1984年から1989年にかけ、『SFアドベンチャー』に連載または同誌増刊号に一括掲載された長篇が4本(いずれも新書ノベルス1冊分)、同誌読み切りの短篇4本に、漫画の原作である短篇『黄金の翼』がある(これら短篇は長らく単行本未収録であったが、徳間デュアル文庫版で1冊にまとめられた)。外伝は全6冊分が執筆されると公表されているものの、最後の1冊分が書かれる気配はない(ただし、『アルスラーン戦記』のように、数年間刊行が停止して読者からは休刊、終刊したと思われた後、続刊が出版された例がある)。

本作はベストセラーかつロングセラーとなり、刊行以来重版増刷が繰り替えされてきた徳間ノベルズ版の第1巻は初刊からほぼ20年目にして100刷の大台を超える。また、新書ノベルス版以外にもハードカバーの愛蔵版、徳間文庫による文庫版、2000年から2003年にかけて“ファイナルバージョン”と銘打って刊行された本編全20巻、外伝全9巻、これにハンドブックを加えた全30巻の徳間デュアル文庫版(巻数が増しているのは従来の1巻分を2分冊にしている為)など、バリエーション豊富な装丁による書籍が刊行。いずれも息長く売れ続け、一部で「お化け小説」とも言われている本作の人気維持に貢献している(各版の主な違いについては刊行リストの項を参照されたい)。

2007年2月からは徳間書店から東京創元社に版元を変え、創元SF文庫レーベルでの新装版リリースも開始されている。

西暦2801年を宇宙暦1年とした遥かな未来。 その勢力圏を銀河系にまで拡大させた人類は人類統一政府である銀河連邦を成立させるが、その政治体制は長い年月を経て腐敗していった。 社会の閉塞感を打破する強力な指導者が求められる中、宇宙海賊を壊滅させた連邦軍の英雄ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、やがて政界に進出すると民衆の圧倒的支持を集めて独裁政権を確立し、首相と国家元首を兼任して終身執政官を自称。 宇宙暦310年に至って、「神聖にして不可侵たる」銀河帝国皇帝に即位して銀河帝国を建国、新たに帝国暦1年とした。 みずから行使する正義を信じてうたがわないルドルフは、共和主義者を中心とした反対派を弾圧・粛清し、議会を解散して専制政治へと移行させ、その支配は苛烈を極める一方、自身を支持する「優秀な臣民」に対しては特権を与え、帝国を支える強固な貴族階級を形成させた。 ルドルフの死後も、至高の権力をえるのはその子孫にかぎられ、世襲だけが権力の移動のあるべき姿になったかにみえた。

共和主義者たちはルドルフの死後も帝国の圧政に耐え忍ぶ日々が続いたが、帝国歴164年、アーレ・ハイネセンを中心として、みずから建造した宇宙船により帝国からの逃亡に成功。 銀河系の深奥部に歩を踏み入れ、指導者ハイネセンを事故で失うなど半世紀に及ぶ苦難の道程の末、帝国歴218年、ついに安定した恒星群を見いだし、そこで自由惑星同盟を建国。 民主共和政治を礎とする銀河連邦の正当な後継者との誇りから、宇宙歴を復活させ、勤勉さと情熱によって国家体制をととのえ、多産を奨励し、急速に勢力を拡大させた。

やがて帝国ではルドルフの死後3世紀を経て、さしも強固だった体制のたがもゆるみ、貴族たちは権力闘争に明け暮れ、規律や統制は弱まり、恒星フェザーン星系においては、地球出身の大商人レオポルド・ラープの異常なまでの説得、そして賄賂を伴う工作により、皇帝の主権下ながらも内政に関してほぼ完全な自治権を有した商業都市国家型のフェザーン自治領が形成された。一方、自由惑星同盟ではその存在が帝国に知れわたると、権力闘争に敗れた貴族を「来る者は拒まず」の精神で受け入れたことで次第に変質していくこととなり、建国当初の理念は薄れていった。

こうして人類は、専制政治を敷く銀河帝国と、民主共和制を唱える自由惑星同盟、および商業を中心としたフェザーン自治領の3つの勢力に分かれ、フェザーンがその経済力と政治工作により勢力を拡張する中、帝国?同盟間では慢性的な戦争状態が150年にわたって続いていた。 この長く不毛な戦いが永遠に続くかに思われていた宇宙暦700年代末、2人の英雄が出現し、人類の歴史は大きく展開し始める。

宇宙暦776年/帝国暦467年、銀河帝国において、貴族とは名ばかりの貧家に生まれたラインハルト・フォン・ミューゼルは、敬愛する姉のアンネローゼが皇帝の後宮に納められた事で、ゴールデンバウム王朝への憎悪を抱くようになった。ラインハルトは、彼女を取戻すだけの力を得るために親友のジークフリード・キルヒアイスとともに帝国軍幼年学校に入学して軍人となる。やがて、腐敗したゴールデンバウム王朝を打倒し「宇宙を手に入れる」という野望を抱いたラインハルトは、その天才的な軍事的才能とキルヒアイスの補佐によって武勲を重ね、驚異的なスピードで昇進していく。ローエングラム伯爵家の家名を継ぎ、ラインハルト・フォン・ローエングラムとなった彼は、ついに20歳にして帝国元帥に就く。後に「常勝の英雄」「獅子帝」と呼ばれた彼の元には、現体制に不満を抱く若き才能が集まり、腐敗した体制のもと既得権益をむさぼる貴族からの反発の中にあって確固たる勢力を確立する。

一方、自由惑星同盟では、本来は歴史研究家志望であったものの、両親の死により歴史を無料で学ぶ方便として士官学校に入学し、不本意ながらも軍人になったヤン・ウェンリー(宇宙暦767年生まれ)が、本人の意思とは裏腹に歴史の表舞台に担ぎ上げられようとしていた。ヤンは暴力機関としての軍隊を嫌い退役生活を夢見ながらも、その軍事的才能によって望まぬ武勲を重ね、やがて提督に抜擢された。後に「不敗の名将」「魔術師ヤン」「奇跡のヤン」と評されたヤンは、母国の政治体制の腐敗を嘆き、戦争への懐疑を抱きながらも数々の戦いに身を投じることになる。

ラインハルトとヤンは、アスターテ会戦(アニメ版では第4次ティアマト会戦)において初めて対峙し、お互いの軍事的才能を認め合うこととなる。 その後、ヤンは、難攻不落と言われた帝国軍の要衝・イゼルローン要塞を、味方の血を一滴も流す事無く攻略。同盟軍はさらなる勝利を求めて帝国領内への侵攻を試みるが、ラインハルトの前に壊滅的大打撃を受けて敗退した。

ラインハルトはこの大勝利によって立場を強化し、さらに皇帝崩御の後継者争いに端を発した内戦によって、帝国内の門閥貴族勢力を駆逐して帝国の実権を掌握する。だがその過程で、自分の半身も同様の存在を自らの過失によって失い、それにともなって姉・アンネローゼにも決別を告げられる。ラインハルトにとって余りにも大きなこれらの代償は、以降の彼の覇業に大きな影を落とす事になる。

一方、帝国領侵攻作戦で大敗を喫した自由惑星同盟は、さらにクーデターによる内乱で著しく国力を疲弊させ、国防は難攻不落のイゼルローン要塞と、その総責任者となったヤンの知略に頼る以外なくなっていった。ヤンはラインハルトの戦略をたびたび看破しながらも、自らは文民統制を固持し続け、状況は自由惑星同盟にとって憂慮する方向へと進んでいく。

そして宇宙暦798年/帝国暦490年、ラインハルトは自由惑星同盟への大規模な侵攻作戦「神々の黄昏(ラグナロック)」を発動する。様々なしがらみを抱えながらも、それを迎え撃とうとするヤン。

ここに「常勝」と「不敗」の対決が始まり、さらに多くの会戦、陰謀、事件が複雑に絡み合って、銀河の歴史はさらに加速していく。

2009年02月04日

畠山氏(はたけやまし/はたけやまうじ)

畠山氏(はたけやまし/はたけやまうじ)は、武蔵国を本貫地とする武家の一族。主に桓武平氏系と清和源氏系の2家系があるが、両者は間接的な血縁関係である。(後述)読みには他に「はたやま」もある。
粉雪 きくらげ せつごう ラックタイ ドンパ クーラント リコピ サイクル チャドル ドライブス ダウWEB ブイゾーン プレ ドライ ネック ヒーリング ビーチ プードル ルレット スクレ ジーディ ペチュニア イーゼル アブラカ センター ゆり根 アカシジミ クール プロシー キッコ スリー ラケナリ さびいろ しのだけ ハイ ブレー セリーグ タブロー オクラ ナビスト てくぼ ファンネル バイド 光の街 ジャロ ユーロ イギリス ストーリ 気合だ メンズリブ

畠山氏 (平姓)は桓武平氏良文を遠祖とし、秩父氏の秩父重弘が子重能が畠山氏を称す。
畠山氏 (源姓)は清和源氏義国を遠祖とし、足利義康が孫足利義兼の子義純が、畠山重能が子重忠の妻を娶り畠山氏を称す。
畠山氏 (藤姓)は藤原氏良門流甘露寺氏後裔の上杉重房を遠祖とし、一族の八条定実の子八条義真の子孫が畠山氏を称す。
畠山氏 (島津姓)は、薩摩島津氏直系の島津光久が子基明の子孫が畠山氏を称す。

同音異姓(はたけやま/はたやま)には、畑山がある。
同音異姓(はたけやま)には、圃山がある。
異音異姓(はたやま)には、幡山、旙山、旛山がある。

坂東八平氏の一族・秩父重弘の子である秩父重能が武蔵国男衾郡畠山郷(はたけやまごう、現在の埼玉県深谷市畠山周辺)に所領を得て畠山姓を称したことに始まる。治承・寿永の乱において、その子重忠は、はじめは平家方についたが後に源頼朝に従い、一ノ谷の戦いや奥州合戦などで活躍した。
重忠はのちに北条時政と対立し、武蔵国二俣川で北条義時の軍との戦闘で敗死した。その後、足利義兼の庶長子・足利義純が重忠の未亡人(北条時政女)と婚姻し、重忠の旧領と畠山の名跡を継承した。義純はもともと新田義兼(足利義兼と同諱の従兄弟)の娘と婚姻し子も儲けていたが、その妻子を義絶した上での継承であった。これによって桓武平氏のひとつ秩父平氏の流れを汲む元祖畠山氏は消滅し、清和源氏のひとつ河内源氏の一系・足利家の一門として存続することとなった。
義純の家系(足利系畠山家)は名門・畠山家の名跡を継承したことから、後に足利一門の家臣筋分家の中で斯波家に次いで高い序列に列せられ、細川家など他の家臣筋分家とは異なる待遇を足利宗家から受けることになる。

紀伊および河内・越中の守護をおおむね務め、分家は能登守護を務めた。

発展と衰亡
1336年(建武3年)に足利尊氏が室町幕府を創立すると、畠山家はこれまでの功績によって越中・河内・紀伊の守護に任じられた。足利家の内紛である観応の擾乱では、庶流の畠山国清は足利直義方に付くも後に尊氏方に鞍替えして家勢を保ち、その一方で畠山家嫡流の畠山高国・畠山国氏父子は滅ぼされてしまう。本来の嫡流である奥州畠山家が衰退する中で、国清の家系(河内畠山家)が畠山家の惣領格となる。彼は関東管領に任命されて東国で南朝方と戦うが、その後鎌倉公方の足利基氏と対立して東国から追放された。国清はそのまま没落するが、国清の弟の畠山義深がのちに守護に任命され畠山家を再興させる。義深の子・畠山基国は1391年の明徳の乱で功績を挙げるなどして足利義満の信任を受け、能登の守護を任されるなど守護大名として力をつける。1398年には管領に任じられ、同じ足利一門の斯波武衛家や細川京兆家とともに三管領家として名を連ねる家柄となった。基国の子・畠山満家は義満には冷遇されたが、足利義持の代になってから表舞台に復帰して管領に就任する。満家の子・畠山持国(徳本)は、将軍権力の強化を目論む足利義教の干渉に苦しめられるが、畠山家の内紛を鎮めて細川家や山名家と拮抗する勢力を維持した。しかし、持国の子・畠山義就と養子・畠山政長との間で家督をめぐっての激しい争いが起き、それがのちの応仁の乱の一因になった。応仁の乱の終息後も政長と義就との対立は続き、細川京兆家の干渉などもあって河内畠山家も衰退の一途をたどり、支配地の守護代や被官の自立や下克上を促す結果となる。

越中は守護代の神保氏に奪われ、河内もたびたび守護代の遊佐氏におびやかされたが、紀伊だけは最後まで勢力を保った。江戸時代においては旗本や高家として数家が残った。

諸家

奥州畠山家
奥州二本松城に拠ったかつての奥州四管領の一雄・畠山家の後裔であり、二本松家・二本松畠山家とも呼ばれる。源姓畠山氏の祖である足利義純の嫡流はこの二本松畠山家であったが、以後の動乱を経て衰退していく。観応の擾乱において畠山高国・畠山国氏父子が滅ぼされて以降は衰退し、戦国時代に至っては一国人にまで身を落として勢力を細々とつなぐのみとなり、歴代当主の多くの事跡どころか一部の当主の名前すら確定できない状況である。天正13年(1585年)、当時の当主・畠山義継が伊達家との抗争の中で討死し、まもなく国人領主としての二本松家も滅亡する。彼の子たちは蘆名家や佐竹家などに仕え、後に帰農したと伝わる。

紀伊・河内畠山家 (金吾家)
代々、衛門督や衛門佐に任じられたため金吾家とも称された。本来の嫡流である奥州畠山家が冷遇されたのとは対照的に、庶流である畠山国清は知勇に優れていたため重用され、紀伊国および和泉国の守護となり、後に河内国の守護にも任命された。

これが河内畠山家の始まりである。観応の擾乱においては国清は当初は直義派であったが、嫡流で尊氏派であった高国・国氏父子の敗北した後まもなく尊氏派に鞍替えし、没落した奥州畠山家に代わって畠山家の惣領格となる。鎌倉の足利基氏を補佐する関東執事(関東管領)として活躍し、さらに将軍足利義詮の執事細川清氏と共に仁木義長を追放して一時中央の政務を壟断したが、のちに義詮や基氏と対立し失脚し、河内畠山家は畠山国清の弟・畠山義深の系統によって受け継がれる。義深の子の畠山基国は当初は鎌倉公方に仕えていたが、足利義満の側近として京の幕府を中心に活動するようになり、管領家の細川京兆家と斯波武衛家が対立する中で第三勢力として台頭、能登国の守護職を獲得し、のちに畠山家の人物として初めての管領職に任命される。これ以降、河内畠山家は代々管領を輩出する家柄となった。畠山満家・畠山持国は管領として幕政において重きをなしたが、持国の後継を巡り畠山政長と畠山義就の子孫が互いに争い、応仁の乱後も両家が分裂し、内紛を続けた。政長流畠山家は官途の尾張守から尾州家、義就流畠山家は官途の上総介から総州家とそれぞれ称した。最終的に尾州家が優勢となるものの、細川京兆家や三好家の圧力を受け、さらに重臣の遊佐長教や木沢長政、安見宗房(直政)、遊佐信教らに歴代当主が次々と追放もしくは暗殺され、1576年、最後の当主・畠山高政が死去することで滅亡した。だが、高政の弟・政尚の子である畠山貞政が江戸幕府の高家の一人となって、その後も家系は続いた。

能登畠山家(匠作家)
七尾畠山家ともいわれる。歴代の当主が修理大夫に任じられたため、その唐名より畠山匠作家とも称された。修理大夫は畠山国清が称した官位であることから、没落した畠山国清系統の再興を意図したのではないかとの指摘がある。

能登国は、当初は吉見家が守護を務めていたが、康暦の政変において細川頼之派であった吉見氏興が失脚し、代わって守護となった本庄宗成(義満の寵臣の一人で元々日野家の家人)もまた統治に失敗があったため、足利一門にして足利義満の信頼の厚かった畠山基国が守護となり、以降は畠山家の分国となった。

初代当主である畠山満慶は、父である畠山基国の没後、当時足利義満の逆鱗に触れて蟄居していた兄・畠山満家に代わって畠山家本家の家督を継いでいたが、義満の没後に満家が赦免されたため、満慶は家督を兄満家に返還した(当時は「天下の美挙」と言われた)。兄の満家は感謝の意から分国のうち能登一国を満慶に与え、応永15年(1408年)に畠山満慶を初代とする能登畠山家が創設された。

満慶と第2代当主・畠山義忠は、在京守護であり、所領の支配は守護代の遊佐家に委ねられていたが、応仁の乱後、第3代当主・畠山義統が能登に下向したことで在国大名となり、強力な領国支配体制を築き定着していったことで、他国の守護大名分国で起こったような下剋上が能登では起こらなかった。

しかし、第4代当主・畠山義元の時、弟の畠山慶致との間で兄弟争いが起こり、明応9年(1500年)には慶致派の守護代の遊佐統秀によって義元は追放され、第5代当主に弟の慶致が擁立された。だが、一向一揆など戦国の状況が能登でも差し迫ってくると、永正3年(1506年)、両者は和解して義元は復帰して再び当主となった(その代わりの条件として、慶致の子・義総が義元の後継者と設定された)。

第7代当主・畠山義総は名君であり、畠山氏のお膝元である七尾は都から貴族も転居してくるなど小京都と呼ばれるほどに栄え、能登畠山家もまた大いに繁栄した。

しかし義総が死去し第8代当主として畠山義続が家督を継ぐと統制が乱れ、畠山七人衆と呼ばれる重臣の権力者グループに実権を握られ大名は傀儡化されてしまう。第9代当主・畠山義綱のときに一時、内乱を鎮圧し大名権力を奪回し大名専制支配を行ったが、重臣たちの反発を招き、当主の追放というクーデターに発展した。その後はまた重臣たちに権力を握られ、内部紛争が続き衰退の道をたどった能登畠山家は、天正5年(1577年)に越後の上杉謙信の侵攻を受けて滅亡した。

なお、義綱の弟・畠山義春は上杉景勝に仕え、その姉を正室に迎えて上条上杉家の名跡を継いだ。彼の長男・畠山景広は米沢藩一門衆に、次男長員は高家旗本上杉家の祖に、三男・義真は高家肝煎畠山家の初代となっている。

その他
平姓畠山氏の一族については畠山氏 (平姓)秩父氏を参照。

源姓畠山氏の祖である足利義純の子孫のうち、義絶した新田家の娘との間の子らは岩松氏となる。岩松家は新田一門として活動し、後に新田家の末裔を称した(詳細は岩松氏を参照)。

鎌倉時代に源姓畠山氏から分かれた一族としては、日向に畠山家の庶流の一族がある。また、失脚し没落した畠山国清の子孫の系統も存続したとされる(西谷内畠山家)。薩摩に下向した一族もあり(阿多氏)、島津氏の家臣長寿院盛淳(阿多盛淳)はその子孫である。

三河畠山氏(足利氏の一族)は、室町時代に、足利幕府の奉公衆として、畠山宗元が、三河国志貴荘に下向。志貴荘の荘館である安城古城を本拠にした。その後、和田氏と改め、和田親平の代に、安祥城を築城して移る。安祥城は、松平信光の奇襲で落城した時の城主は、徳川実紀によると、畠山加賀守某という。

歴代当主
※平安時代・鎌倉時代初期

畠山重能(平姓畠山氏の祖)
畠山重忠
畠山重保
※鎌倉時代・南北朝時代

畠山義純(源姓畠山氏の祖)
畠山泰国
畠山時国
畠山高国(奥州畠山家)
畠山国氏(奥州畠山家)
畠山貞国
畠山家国
畠山国清
畠山義深(河内畠山家の実質的な祖)
※室町時代・分裂以前

畠山基国…管領、紀伊国守護、能登国守護、越中国守護、河内国守護、畠山家中興の祖。
畠山満慶…河内国守護などの守護、後、能登国守護、能登畠山家初代。基国の次男。
畠山満家…管領、紀伊国守護、河内国守護、越中国守護。基国の長男。
畠山持国…管領、紀伊国守護、河内国守護、越中国守護。満家の長男。
畠山持永…河内国守護など。満家の次男。
畠山持国
※尾州家

畠山持富…満家の三男。弥三郎、政長の父。
畠山弥三郎…持富の子。政長の兄。名は政久とも。
畠山政長…尾州家の実質初代、管領、紀伊国守護、河内国守護、越中国守護、山城国守護。
畠山尚順…政長の子、紀伊国守護、河内国守護、越中国守護。
畠山稙長…尚順の長男。
畠山長経…尚順の次男。
畠山政国…尚順の三男、紀伊国守護、河内国守護。
畠山勝煕
畠山晴煕
畠山高政…政国の長男、紀伊国守護、河内国守護。
畠山政尚 政国の次男、紀伊国守護代、紀伊国守護。
畠山昭高…政国の三男、河内国守護。織田信長の義弟。遊佐信教によって暗殺され実質、畠山家は滅亡。
畠山貞政 政尚の長男。江戸幕府の旗本(高家)。
※総州家

畠山義就
畠山義豊(基家)
畠山義英
畠山義尭(義宣)
畠山在氏
畠山尚誠
※能登畠山家

畠山満慶
畠山義忠
畠山義統
畠山義元(6代当主として復帰)
畠山慶致
畠山義元(再就任)
畠山義総
畠山義続
畠山義綱
畠山義慶
畠山義隆
畠山春王丸

系譜
太線は実子、細線・二重線(縦)は養子、二重線(横)は婚姻関係。

平姓畠山氏
桓武天皇


(村岡)
平良文
┣━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳────┐
平忠輔 村岡忠頼 平忠光  村岡忠通
┃ ┣━━━━━━┳━━━━━┓ ┃
相模厚木氏へ 武蔵秩父氏へ 下総千葉氏へ 相模中村氏へ 平忠通
  ┣━━━━━┳━━━━━┓
    相模三浦氏へ 薩摩伊作氏へ 相模鎌倉氏へ
秩父氏→畠山氏

(秩父)
秩父将恒(将常とも)


秩父重弘
  ┣━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓
畠山重能 小山田有重 武蔵小山田氏へ 河野氏へ 北条時政 足利義兼
┣━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ ┃
重清 重宗 重忠 ========== 六女 =========== 足利義純
┃ ┃ ┏━━━┳━━━┳━━━┳━━━━┳━━━━━━━━┫ ┗━━━━┓
長野氏 男衾氏 重政 円耀 重慶 重俊 重季 重保 畠山泰国
┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━┓ ┣━━━┳━━━┓   ┃
井田氏 大窪氏 浄法寺氏 宮之原氏 伊知地氏 武蔵藤田氏 目黒氏 江戸氏 中根氏 源姓畠山氏

[編集] 源姓畠山氏
秩父重弘
  ┃
畠山重能 北条時政 足利義兼 新田義兼
┏┻━┳━━┓ ┃ ┃ ┃
重清 重宗 重忠 ========== 六女 == 足利義純 ========== 女子
┏━━┳━━┳━━┳┻━┓ ┃   ┣━━━━┓
重政 重慶 重俊 重季 重保 畠山泰国 岩松時兼 田中時朝
┏━━━━━━━━━┫   ┃ ┃
(美濃畠山家) (嫡流) 岩松氏へ 田中氏へ
義生 時国 栗生氏へ
       ┃   ┃
       ┃   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
       ┃   ┃   (嫡流)
義方   貞国 高国
┃   ┃       ┣━━┓
  宗義   家国 国氏 直泰
┃ ┃ ┃
┏━━┳━━┫ ┏━━┳━━┳┻━━━━┳━━━━━━┓ (衰退)
直顕 宗国 宗生 国清 国頼 義熈 清義 義深 国詮
┃ ┏━━┫ ┃ ┣━━┳━━┓ ┣━━┳━━┳━━┓
直宗 宗基 義清 満熈 基国 深秋 満国 満国 満泰 氏泰 家重
┏━━┫ ┣━━┓ ┃ ┣━━┓
満純 清貞 満家 満慶 石垣氏へ 持泰 満盛
┃ ┃ ┏━━┳━━┳━━┫ ┣━━┓ ┃
持純? 清純? 国賢 持富 持永 持国 義忠 教国 政国
┃  ┣━━┓ ┣━━┓ ┃ ┃ ┃
成純 政栄 満友 政長 政久 義就 義有 村国
┃ ┃ ┃ ┣━━┓ ┃
家俊 尚順 義豊 義統 政国 晴国
┏━━┳━━┳━━╋━━┓ ┃ ┣━━┳━━┓ ┣━━┓
昭国? 晴熈 政国 長経 稙長 義英 義元 慶致 義智 家泰 義氏
┃ ┏━━╋━━┓ ┃ ? ┃ ?
頼国 昭高 政尚 高政 義堯 義総 義総 義国
┃ ┃ ┃ ┣━━┓ ┃
             盛淳    貞政       在氏 義繁 義続         義継
              ┃     ┃        ┃     ┣━━━━━┓   
              忠栄    政信       尚誠    義綱    義春   
  
畠山家家臣団
畠山家の家臣団は大きく分けて、出身によって五系統に分かれる。

武蔵衆
「武蔵衆」…畠山重忠以前から仕えていた家柄で、重忠の死後、足利氏から入嗣した足利義純に仕えた家臣。
代表的な氏:豊島氏、榛沢氏、半沢氏、本田氏。
多くは早くに没落した。豊島氏は武蔵国の豊島氏と同族。本田氏は戦国時代には島津氏の家臣となっていた。

足利衆
「足利衆」…足利義純の畠山氏入嗣の際に従った家臣。
代表的な氏:稲沢氏、斎藤氏、高階氏、伴氏、平(ひら)氏。
斎藤氏、平氏は重臣、稲沢氏、伴氏は馬廻衆として残存。高階氏は没落した。高階氏は高氏と同系。足利衆は戦国時代になると当主側近として活躍した。斎藤氏や平氏は奉行職や祐筆として文書を発給し、畠山氏の行政官僚的存在となった。また、稲沢氏、伴氏は当主側近の平時の警護を職務とし、戦陣では馬廻衆となり、伝令や作戦参謀的な位置についたが、軍権が守護代に移ると実権を失い没落した。
稲沢氏…足利氏の祖足利義康の父、源義国の弟源義忠の家系。子孫は豊臣氏重臣速水守久に客将として仕え、大坂夏の陣で陣没。
斎藤氏…斎藤実盛の末裔と伝えられた名門。美濃国の斎藤氏などは有名。畠山氏に仕えた斎藤氏は室町幕府の奉公衆であった斎藤氏と近い一族であったと考えられている。多くの発給文書が残存しており、その勢力が室町時代には強かったことが読み取れる。
平氏…よみは「ひら」であるが平「たいら」氏の末裔。系統は不詳だが、鎌倉時代に内管領であった平氏の分流とする説が有力。室町時代から戦国時代中期まで畠山氏のなかで奉行などとして文書を発給し権勢があった。平盛知などが著名。
伴氏…その祖は大伴氏といわれ古代の軍事貴族の末裔。大伴氏の末葉の伴助兼が源義家の家人となり、その一族が足利氏、畠山氏と歴代に仕えてきたものと考えられる。

鎌倉衆
「鎌倉衆」…「鎌倉以来」と称された畠山義純以降、畠山家国時代までに召抱えられた家臣。
代表的な氏:佐原氏、庄氏、神保氏、中原氏、遊佐氏。
遊佐氏、神保氏がそれぞれ河内、越中の守護代などとして重きを成した。
遊佐氏…出羽国遊佐庄の出身。河内国の守護代として権勢を振るい、実質的には河内国の国主であった。長直、就盛、順盛、長教らの名が有名。
神保氏…越中守護代の神保氏の本家筋。大坂夏の陣で徳川方についたが味方の伊達政宗に攻撃された神保相茂はこの末裔。
中原氏…検非違使尉を世襲した中原氏の分流で紀伊国に土着した家柄で子孫は山林王と称された。
佐原氏…相模国の三浦氏の分流で芦名氏と同族の名族。早くに没落したのか戦国時代の史料にはすでに見えない。
庄氏…武蔵七党児玉氏の分流。備中国の庄氏と同族。江戸時代の大名、本庄氏も同族。

国人衆
「国人衆」…室町時代になって伊豆国、紀伊国、河内国の国人から家臣団に編入された家臣で、多くは南朝方で畠山氏に降伏した者たちである。
代表的な氏:安宅氏、色川氏、太田氏、恩智氏、甲斐庄氏、萱振氏、小山氏、誉田氏、周参見氏、鈴木氏、隅田氏、玉置氏、丹下氏、淡輪氏、野長瀬氏、堀内氏、水走氏、湊氏、三宅氏、保田氏、安見氏、湯浅氏、湯川氏、和田氏など。
在地の勢力で実戦部隊を擁した。政権中央では湯川氏(湯川直光、湯川直春)が活躍した程度であっが、彼らの帰趨が畠山氏の没落を決定づけた。堀内氏は新宮行家の末裔ともいい、半独立した勢力で戦国大名としても数えられる。
安宅氏…淡路国の安宅氏(安宅冬康など)の本家筋で同じく水軍を率い、畠山氏の水軍の中核であった。甲斐国の武田氏の末葉といわれる。
色川氏…元南朝方。紀伊国の有力国人のひとつ。畠山氏が没落し豊臣秀長が領主となるとそれに仕えた。子孫は紀州藩の水野氏に仕えた。
太田氏…雑賀衆ともいわれた一族で、太田吉正が有名。
恩智氏…元南朝方。鎌倉時代末期に活躍した恩智大栄の末裔。
甲斐庄氏…元南朝方。楠木正成の弟、楠木正季の末裔。子孫は徳川氏に仕え旗本。
萱振氏…元南朝方。萱振賢継が有名。大阪府八尾市に現在も萱振の地名が残る。賢継は遊佐長教を暗殺したとされ、安見宗房(直政)の報復を受けて族滅した。河内国一の富豪と称された。
小山氏…元南朝方。関東の雄族、小山氏の分流と称するが現在は否定されている。紀伊国の有力国人で平安時代後期から活動した古豪。
誉田氏…武蔵衆の本田氏と同族ともいうが詳細は不明。河内国の国人。誉田八幡宮ともゆかりが深い一族で、畠山氏の内部では国人衆ではあるが奉行職なども務めた家柄。応仁の乱などで畠山義就方であったため戦国時代には勢力は弱体化した。
周参見氏…現在も和歌山県にその地名がある。その地域の有力国人であった。
鈴木氏…雑賀衆の中核。鈴木重秀や鈴木重朝が有名だが、畠山氏に仕えたのはそれらの父やその兄弟。久米田の戦いで三好義賢を撃ったのも鈴木氏の軍勢といわれる。
隅田氏…隅田党ともいわれた武士団の末裔。隅田八幡宮にゆかりの武士団。鎌倉時代には隅田忠長が出て活躍したが、北条氏の被官であったために、建武の新政の際に多くの一族が戦死した。後に南朝方となったが、南朝滅亡後は、紀伊国守護の大内氏、続いて畠山氏に仕えた。子孫は紀州徳川氏に仕えた。
玉置氏…玉置庄司。鎌倉時代中期ころから台頭した紀伊国の武士団で十津川郷士。十津川玉置社の神主の末裔。子孫は尾張藩に仕えて続いた。
淡輪氏…元南朝方。鎌倉時代中期ころから活動していた和泉国の国人。元は、和泉国守護の細川氏の配下。細川常有が滅ぶと、畠山氏に仕えた。淡輪水軍の中核。畠山氏の水軍の一翼を担った家柄。淡輪有重、淡輪重政らが有名で、畠山氏が没落すると豊臣秀吉、豊臣秀次に仕えたが、改易。後に、浅野氏や豊臣秀頼に仕えた。
野長瀬氏…元南朝方。足利衆の稲沢氏の支流。南朝時代は勢力があったが、室町時代以降は振るわなかった。畠山氏の被官として命脈を残した名族。
堀内氏…元南朝方か。新宮行家の末葉。堀内氏虎の時代に勢力を拡大し、守護の畠山氏が衰えると自立した。堀内氏善は羽柴秀吉に早くから仕えて領土を保全したが、関ヶ原の戦いで西軍に味方し没落した。大坂夏の陣で千姫の救出で有名な堀内氏久はこの一族で後に徳川氏に旗本として仕えた。
水走氏…平安時代後期に成立した武士団。河内国一ノ宮枚岡神社の神主出身の武士で、その祖は枚岡連という名族。平安時代後期から鎌倉時代には大きな勢力を誇ったが、南朝方であったことから畠山氏に仕えたころは勢力は衰えていたが、その本拠地は交通の要衝にあり、重要視された。
湊氏…淡輪水軍の淡輪氏の一族ともいわれ、湊高秀が有名。
三宅氏…摂津三宅氏とは別族。現在の大阪府松原市三宅にあった豪族で、松原市三宅にある屯倉神社は三宅氏居城跡ともいわれ、古代の屯倉に由来する古代からの有力豪族の末裔。
保田氏…源義光の末裔の安田氏と同族とされているが、湯浅氏の分流と見るのが妥当。紀伊国の有力国人で、保田知宗、保田繁宗、保田則宗らが有名。繁宗以降は徳川氏に仕えて旗本。
安見氏…元南朝方。若狭国保見庄の荘官の出身。戦国時代後期に守護代となった安見直政(宗房)や安見信国、安見勝之の名が知られる。勝之は伊予国で大名となるが関ヶ原の戦いで西軍に味方し没落。加賀前田氏に仕えて、大坂の冬の陣では敗色濃厚ななかで善戦し一万四千石を与えられた。
湯浅氏…元南朝方。紀伊国湯浅庄発祥の名族。平清盛の配下として勢力を拡大し、鎌倉幕府が成立すると巧みにその御家人となった。南北朝時代には楠木氏らとともに南朝を支えたが、衰退した。戦国時代にも衰退したとはいえ、もともと紀伊国最大とも言われた雄族だけに勢力を保持していた。
湯川氏…紀伊国の国人。戦国時代後期には湯川直光が河内守護代にもなった。熊野八庄司のひとつ。武田氏を祖とするというが異説がある。戦国時代後期に湯川氏は最盛期を迎え、実質的に畠山氏の軍事力の中核であった。畠山高政時代には、久米田や教興寺で三好長慶方と畠山氏が決戦しているが、その時点での軍勢の半数近くは湯川直光の軍勢であったといわれており、その軍事力の強大さがわかる。後、畠山氏が没落すると、湯川氏は反豊臣的な行動があったが、後に豊臣秀長に降り、その臣下となり、浅野氏に仕えるなどし、浅野氏が広島へ転封になると、それに従い広島へ移った。
和田氏…祖は大中臣氏といわれる。鎌倉時代は御家人。読みは「にぎた」「にきた」「みぎた」などがある。元南朝方で畠山氏にも仕えた。

大和衆
「大和衆」…上記以外に、主に応仁の乱以降に家臣となった大和国の国人衆出身の家臣。
代表的な氏:秋山氏、飯田氏、岡氏、奥田氏、越智氏、片岡氏、沢氏、龍田氏、筒井氏、十市氏、豊田氏、箸尾氏、布施氏、芳野氏。
大和国は元来、興福寺が君臨していたが、応仁の乱以降、畠山氏が有力国人を家臣団化していった。しかし、畠山氏が衰えると、国人の中でも有力であった筒井氏、越智氏の両氏が他氏を家臣団化して二頭体制になった。越智氏、筒井氏は戦国大名としても数えられ、特に筒井氏は筒井順慶の時代に飛躍したが、江戸時代初期に改易された。
秋山氏…宇陀三将の一人。
越智氏…大和源氏の末葉といわれる。越智維通の時代に台頭した。筒井氏と攻防を繰り返したが、筒井順慶の時代に滅ぼされた。高取城主。
片岡氏…利盛、道春が知られる。畠山氏の家督争いに巻き込まれた。越智氏と筒井氏の間を揺れ動いた小豪族。
沢氏…宇陀三将の一人。沢源六郎が有名。沢城城主。
龍田氏…龍田入道為定が有名。
筒井氏…筒井順慶が有名。
十市氏…元南朝方。十市遠忠などが有名。後、筒井氏家臣。
箸尾氏…鎌倉時代前期からの豪族。箸尾為英らの活動が記録されている。為妙、為量は南朝方で北朝方の筒井氏と戦った記録がある。為隆の時代に筒井氏と和睦し、南朝方から北朝方に転身した。1546年に箸尾為政が筒井氏によって自害に追い込まれ、一度滅亡の憂き目をみたが、1558年に箸尾為綱が復帰した。筒井氏が大和国主になると、箸尾氏も従属した。また、畠山氏直参になった箸尾高春もこの一族で、高春は関ヶ原の戦いで西軍。後、大坂の陣で大坂方で戦没した。
芳野氏…宇陀三将の一人。
応仁の乱前後に、畠山氏の家臣団はそれぞれ政長方、義就方に分かれるなど混沌とした。戦国時代になり畠山氏の当主の権力が弱くなるにつれて、在地勢力でもあった「国人衆」・「大和衆」が力を有するようになったが、守護代として権力を掌握した遊佐氏・神保氏は「鎌倉衆」「鎌倉以来」の家柄であった。

応仁の乱以降の家臣団の分裂状況

尾州家家臣
神保長誠
成真院光宣
遊佐長直
遊佐順盛
遊佐長教

総州家家臣
遊佐国助
遊佐就盛
遊佐家盛
誉田三河守
誉田遠江守

戦国時代後期の主要家臣
安宅重俊(紀州国人衆)
色川盛直(紀州国人衆)
色川秀足(紀州国人衆)
太田吉正(紀州国人衆)
甲斐庄正治(河内国人衆)元南朝、楠木氏一族。甲斐庄氏を参照。
萱振賢継(河内国人衆)
小山隆重(紀州国人衆)
沢親満(大和衆)<宇陀三将>
神保春茂(鎌倉衆)
周参見氏長(紀州国人衆)
丹下盛賢(河内国人衆)
野長瀬盛次(紀州国人衆)元南朝。野長瀬氏を参照。
箸尾高春(大和衆)
布施左京亮(大和衆)
堀内氏虎(紀州国人衆)
松浦肥前守(泉州国人衆)
安見宗房(別名は直政)(河内国人衆)
湯川直春(紀州国人衆)
遊佐高清(鎌倉衆)
遊佐長直(鎌倉衆)遊佐氏を参照。
遊佐順盛(鎌倉衆)
遊佐就盛(鎌倉衆)
遊佐長教(鎌倉衆)
遊佐信教(鎌倉衆)
芳野民部(大和衆)<宇陀三将>

能登畠山氏家臣団
飯川光誠
土肥親真
長続連
長綱連
長連龍
遊佐続光
遊佐盛光
温井景隆
温井総貞

畠山氏 (平姓)
畠山一族

西方氏
松倉氏
高倉氏
本宮氏
新城氏
杉田氏
高玉氏
         

2009年01月21日

バンカー (banker)

バンカー (banker) とはゴルフのコースを形成する一要素で、ウォーターハザードと並ぶハザードに属する。形や大きさはまちまちであるが、砂で満たされている。たいていの場合、周囲の地面より数十センチメートルくぼんでいる。

バンカーはハザードに属するが、ウォーターハザードと異なり、打球をバンカーに打ち込んだとしても救済はない。バンカーからはよく飛ぶ球を打ち出すのはきわめて困難であり、スコアを悪化させる要因となる。特に乾燥する季節・気候帯でのバンカーの砂は乾いてさらさらになっており、ボールが深く埋まってしまい、いっそう抜け出すのが難しくなる。

バンカーは、試合に参加する各プレイヤーの心理に強く影響する。 バンカーにはまることで、そのプレイヤーは過度に緊張することがある。またそのときに他のプレイヤーは「得をした」感情を持つことがあり、気がゆるみがちである。様々な状況変化があっても平常心を保つことがゴルファーの要であり、他人がバンカーに打ち込んだとしても、それに影響されず落ち着いてプレーを進行できる能力が求められる。

ガードバンカー (guard banker) グリーンの周りにあり、グリーンをガードする目的のバンカー。

フェアウェイバンカー (fairway banker) フェアウェイの途中にあり、多くはティーショットを難しくさせるためのバンカー。

バンカーからの脱出
バンカーから脱出するためのショットをバンカーショットと言う。バンカーショットの際には、特にガードバンカーから脱出する際にはサンドウェッジ (SW)というクラブを用いる。サンドウェッジは飛距離は出ないものの、ボールに対して深く接触し、弾道が高く方向性をはっきり出せる性質を持っている。また、サンドウェッジ以外のクラブを用いてもかまわない。要は効率よく脱出し、バンカーに打ち込んだロスを埋め合わすことができればよい。サンドウェッジの扱いに慣れていないなら、自分にとって扱いやすいクラブを用いてもよい。ただしどのようなクラブを使う場合であっても、フェースやシャフトを使ってすくい上げるようなことは禁止されている。

コース設計におけるバンカーの配置
コースの設計において、バンカーの配置を考えることは味わい深い作業である。

一例として、飛距離を稼げるゴルファーに対し、ティーグラウンドから目一杯飛ばして1打でグリーンをねらえるようなレイアウトを考える際、グリーン直前にバンカーを配置すれば「無理してでも1打でグリーンに何とかたたき込む」あるいは「バンカーが怖いので少し手前をねらう」というような判断をプレイヤーに求めさせることができる。

別の例として、初心者への(少しお節介な)配慮で、地面についたボールが長く転がってOBになりがちな斜面にバンカーを設け、一種の安全ゾーン的な役割を与えることもある。グリーンの後方に設けられたバンカーはこのような性質を帯びている。アプローチに失敗して、過度に飛ばしてしまったボールをキャッチすることでOBにならないようにしていると考えられる。

ルールとマナー
バンカーにボールが入った競技者は、ショットするまでクラブで砂に触れてはいけない。もし、触れてしまうと、2打罰のペナルティーとなる。アドレス(ショットを打とうと構えること)の際も例外ではない。注意しなければならないのは、バンカーショットでボールがバンカーから出なかった後、クラブで砂を(悔しくて)叩いてしまうと前述のペナルティーになる。

どうしても自力で脱出できないと判断した場合は、速やかにアンプレヤブルを自ら宣言し、1打罰のペナルティを負って適切な方法でプレイを進行させることができる。

バンカーを含むハザード内ではいかなる改善も行ってはならない。ルースインペディメント(枯葉等の些細な障害物)も取り除いてはならない。反すると2打罰のペナルティになる。
カツサン オーダー メルトン キートーン 市田柿 オーララ ミルク 総合山風 スズラン レングス もくず フリル ジスト カッター チュニジ 紅の空 ピンプリ 凪笛 蜃気楼 除の鐘 パトロール オーバー リンター ダイア ヒプノ フィート ズーム ミニコミ 総合大河 マシン トッシュ テトラード フラワー シーエス ラカイト フシグロ トラッ オパール ネービー リスク ザーボード ボエポン ダイジ マター スケール セクト アスン アサイン チューン アース

バンカーから脱出できたら速やかに自分の足跡や打撃の跡を修復しなければならない。脱出できて安心して、そのまま次の場所に進むのはマナー違反である。一般的なコースの場合、バンカー周辺には「レーキ」と呼ばれる修復用の器具がたいてい置いてあるので、これを用いて行う。他のプレイヤーが作った跡が残っていればそれも同時に修復する。レーキはなるべくボールが当りにくい場所・方向に戻しておく。

を巡る事件
バンカーを巡って、プロゴルフトーナメントでは実際にこんな事が起きている。

1990年のダンロップ・フェニックス選手権の3日目。16番ホール(パー4)でラリー・ネルソンが放ったティーショットがバンカーの中に入ったのか、スルー・ザ・グリーンなのかで競技委員と一悶着を起こした事があった。不幸にもバンカーとスルー・ザ・グリーンとの境目にボールが入ったために起きた出来事だった。「ボールはスルー・ザ・グリーンだから無罰でドロップ出来る」と主張するネルソンと、「ボールはバンカーの中。アンプレヤブルを宣言したのだからペナルティを負わなければならない」とする競技委員の主張が対立(実は1回でバンカーからボールを出すことが出来なかった)。取り敢えずプレーを続行し、ホールアウト後に再び両者が協議し、結局は競技委員の裁定にネルソンが従い(日本語で「ごめんなさい」と謝罪した)、このホールはトリプルボギーになった。なおネルソンは翌1991年の同大会では4人によるプレーオフを制して優勝を飾った。